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東京地方裁判所 平成3年(ワ)16455号 判決

原告

笛木清江

被告

榎本秀治

主文

一  被告は、原告に対し、金九四五万三六三八円及びこれに対する昭和五九年九月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを四分し、その一を被告の、その余を原告の各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一原告の請求

一  被告は、原告に対し、金三七七六万九八四一円及びこれに対する昭和五九年九月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用の被告の負担及び仮執行宣言

第二事案の概要

一  本件は、丁字形交差点の突き当たり道路の横断歩道上を足踏自転車に乗つて進行していた女性が、同道路を進行し同交差点に進入した乗用自動車に衝突され、傷害を負つたことから、その人損について賠償を求めた事案である。

二  争いのない事実等

1  本件交通事故の発生(争いがない)

事故の日時 昭和五九年九月一日午前一〇時五五分ころ

事故の場所 東京都北区上十条三丁目一五番二号先の丁字形交差点(別紙図面参照。以下「本件交差点」という。)

加害者 被告(加害車両運転)

加害車両 普通乗用自動車(練馬五八ふ四八五六)

被害者 原告。足踏自転車に乗車中

事故の態様 原告が、本件交差点内の突き当たり道路に設けられた別紙図面「かしわ屋肉店」と「タカシロ文具店」を結ぶ横断歩道(以下「本件横断歩道」という。)上を十条駅方面から環七通り方面に向かつて足踏自転車に乗つて進行中、東十条駅方面から本件交差点に進入した加害車両に衝突された。

事故の結果 原告は、本件事故により全身打撲、外傷性頸椎病の傷害を受けた。

2  損害の填補(一部)

被告は、原告の治療費の一部として一七二万二九九〇円を支払つた(一三〇万〇六六〇円については争いがなく、四二万二三三〇円については甲三六により認める。)。もつとも、原告は、右既払分については、本件訴訟で請求していない。

三  本件の争点

1  被告の責任

(原告)

被告は、赤信号を無視して、加害車両を加速させながら本件交差点に進入した。

(被告)

被告は、対面信号が青であることから本件交差点に進入したが、原告が信号を無視したものである。もつとも、被告の刑事裁判では、被告が信号無視したものと認定され、業務上過失傷害の有罪の裁判が確定している。

2  損害額

(原告)

(1) 治療関係費

〈1〉 冶療費 一一七万五三一〇円

帝京病院の通院治療費である。なお、岸病院及び帝京病院の入院治療費は、被告が支払済

〈2〉 付添看護費(一日四〇〇〇円。四八日分) 一九万二〇〇〇円

〈3〉 入院雑費(一日一〇〇〇円。四八日分) 四万八〇〇〇円

〈4〉 通院交通費 二万二三八〇円

〈5〉 リハビリ湯治費 一七万二八四四円

(2) 休業損害 一三九三万二〇〇〇円

昭和五九年九月から平成三年一一月までの八六月分。一月当たり一六万二〇〇〇円として算定。少なくとも、一月当たり一四万六七〇〇円として一二六一万円の休業損害を受けた。

(3) 逸失利益 六六八万五三〇七円

本件事故により鞭打ち特有の頭痛、吐き気等の後遺障害(一二級相当)を残し、このため、労働能力が一四パーセント喪失した。給与月額二一万一六〇〇円として算定

(4) 慰謝料 一二〇四万二〇〇〇円

入通院(傷害)慰謝料として一一三万二〇〇〇円、右後遺症の慰謝料として九一万円が相当である。

さらに、被告は、本件事故は原告の信号無視によるものと真実に反する主張を行い、このため、捜査当局から原告の信号無視を前提とする捜査を受け、かつ、被告らから侮辱的な質問を重ねられ、原告の名誉を棄損された。また、途中から治療費の支払いを打ち切られ、刑事事件の裁判が確定した後も、自分の方の信号が青と主張して、賠償に応じない。これらにより原告の受けた精神的苦痛を慰謝するには一〇〇〇万円を下らない。

(5) 弁護士費用 三五〇万〇〇〇〇円

(被告)

原告の症状は事故後半年か一年で治癒し得るものであり、その後の治療は、心因的なものか、本件事故と無関係のものである。後遺障害も、他覚症伏のないものであつて、自賠責調査事務所では「非該当」と認定している。

また、被告側の信号が青であつたから、裁判で正当に争うのであつて、特別事情による慰謝料の主張は、被告の権利を無視するもので遺憾である。

第三争点に対する判断

一  被告の責任

1  甲一、一四、一六ないし一九、二八、二九、乙一ないし四、五の1ないし7、六の1ないし4、七の1ないし5、一一、一五、二〇、二三、原告本人に前示争いのない事実を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 原告及び熊谷朝美(当時一一歳。以下「熊谷」という。)は、本件事故当日、それぞれ自転車に乗つて、本件横断歩道を十条駅方面から環七通り方面に進行していたところ、被告は、東十条駅方面から加賀方面に向かうため本件交差点に進入し、右各自転車に加害車両を衝突させた。同事故により、原告及び熊谷の自転車は大破し、また、加害車両は、そのまま直進し、ガードレールを突き破つて、別紙図面「リトルパーテイ」まで突入した。

被告は、本件事故により原告及び熊谷を受傷させたとして、昭和六三年六月九日、業務上過失傷害の罪で起訴された。

(2) 被告の右起訴にかかる刑事事件の第一審(東京地方裁判所昭和六三年わ第一六四四号)において、原告及び熊谷は、いずれも本件横断歩道を十条駅方面から環七通り方面に向けて横断しようとして同横断歩道手前に差し掛かつた際、熊谷が対面歩行者用信号機の青色点滅を、また、原告が同信号機の赤色灯火をそれぞれ認めたため、いずれも歩道上で(熊谷が別紙図面B地点、原告が同図面ア地点)待機し、同信号機の表示が青色に変わつたことを確認した上で、原告、熊谷の順で本件横断歩道を横断しようとしたところ、まもなく、加害車両に衝突されたと、供述した。

両名の供述は、昭和五九年一〇月二一日に両名が立ち会つて行われた実況見分の際のそれぞれの指示説明と矛盾しない。また、熊谷の右供述は、同人が本件事故直後父親の熊谷良三に話した内容と大筋において一致している。さらに、原告は、本件事故直後、路上に倒れたままで、後記中山一之に対して、うわ言のように「信号は青だつたのに」と語つており、原告の前示供述は、事故直後の原告の訴えとも一致する。

(3) 長島貞吉は、被告の本件事故に関する刑事控訴事件(東京高等裁判所平成元年う第四九七号)において、本件事故の目撃証人として、所用のため十条駅方面に向けて本件交差点付近道路の南側歩道を歩行し、別紙図面「マルフクストア」前から向かいの「かしわ屋肉店」の方に横断しようとしたところ、歩行者用信号機の信号が赤だつたので、その横断歩道を渡るのを断念し、そのまま南側歩道を何歩か歩き出した際に左後方で衝突音が聞こえたので振り向いたところ、「タカシロ文具店」前にある原告及び熊谷の対面歩行者用信号機の信号は青であり、次いで「かしわ屋肉店」前の歩行者用信号機を見ると同信号は赤であつたと供述する。

さらに、加害車両のすぐ後ろに追従して走行していたタクシーの運転手である都築邦夫は、右刑事控訴事件において、本件事故の目撃証人として、東十条駅方面から本件交差点に近づいたときは既に対面信号機の信号は赤色を表示していたから、同人は交差点手前で停止の措置を採つたのに、先行する加害車両はそのまま交差点に突入して本件事故を起こしたと明言する。

(4) 被告は、平成元年三月八日、東京地方裁判所で、赤信号を無視して本件交差点に進入したものとして、業務上過失傷害の罪で執行猶予付の一年二月の禁固刑に処せられた。被告から控訴がなされたが、同年一一月一日、東京高等裁判所は控訴棄却の判決を宣告し、その後、平成三年三月七日、最高裁判所は上告棄却の決定をしている。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

2  右認定事実によれば、被告は、対面信号が赤色を表示しているにもかかわらず、本件交差点に進入し、他方、原告は、「かしわ屋肉店」前において対面歩行者用信号機の信号が青に変わるのを待つて、本件横断歩道に進入したことは明らかである。

この点、被告は、捜査段階及び刑事事件の公判段階においていずれも対面信号が青であることを確認して本件交差点に進入したと供述するが(乙八ないし一〇、一二により認める。)、前示各証拠に照らし、およそ採用し難いものというべきである。のみならず、甲一五、一九によれば、被告は、本件事故直後において、熊谷の父親である良三に対して、被告の妻の入院手続のため気がせいており信号に対する認識が全くなく本件事故を起こしたと供述したことが認められるのであつて、被告は、少なくとも信号を見ていなかつたことは明らかである。

なお、乙一三、一八によれば、本件事故当時、環七通り方面から十条駅方面に向かつて進行するため、本件交差点の環七通り寄りの停止線(別紙図面「矢後医院」の左下の停止線)に赤信号に従い先頭で停止していた中山一之は、前示被告の刑事事件の第一審及び控訴審において、目撃証人として「事故直前までは対面信号機の表示は赤であつた」と述べたことが認められるが、同人は、「率直のところ、事故時の対面信号機が赤か青かということについては確信の持てるものはない」とも供述し、さらには、検察官に対しては、「対面信号の表示に注意して停止していたのではないので、はつきり事故の際の対面信号が赤色であつたとか青色であつたとかいえない」と述べているのであり(甲二二により認める。)、同人の供述は、第一審及び控訴審のいずれも漠として、これにより、被告の対面信号が青であつたとは到底認定することができない。また、乙一七によれば、本件横断歩道を信号無視して歩行する者のいることが認められるが、本件事故とは関係のない事柄であり、右認定を左右するものではない。

二  原告の傷害の程度

1  甲二ないし七、九、一〇、一三、三一、三七、乙一一、二四ないし二六、三〇の1ないし3、原告本人によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告は、昭和五九年九月一日の本件事故の後、救急車で岸病院に運ばれ、脳挫傷疑、頭部外傷、頸椎捻挫、右半身打撲、右骨盤打撲、恥骨骨折疑、右下肢挫傷擦過傷、腹部打撲の傷病名で、同月三日まで同病院に入院した。初診時に意識障害があつたが、次第に改善していつた。

(2) 同月三日、帝京大学医学部整形外科に全身打撲、頸椎捻挫の傷病名で入院した。一〇月五日に退院し、その後同学部附属病院に平成三年一一月一八日まで通院し、頸部痛、腰痛、骨盤痛などがあることから理学療法を含む外来通院治療を受けた。眼科や耳鼻科も受診し、事故後しばらく生理がなくなつたことから婦人科への通院もした。実通院日数一一二日であり、昭和六〇年二月ころまでは比較的集中して通院したが、同年三月以降はほぼ一月一、二度の割合であり、昭和六一年一〇月ころからは、二、三カ月間通院のないことも時折あり、数カ月間通院しないこともあつた。治療内容は、平成元年四月ころまでは、湿布、塗り薬、ビタミンB12等の投与等が主であつたが、同月ころからは介達牽引も行つた。

この間の昭和五九年一一月二七日から昭和六〇年一月一三日までは、温泉療法を行つた。同療法は、補助療法として頸部の痛みの緩和に効果があり、同年二月には、症状は徐々に軽快傾向を見せているとの所見を得た。原告は、帝京大学附属病院への通院のほか、整骨院にも相当の頻度で通院し温熱療法を受けた。

(3) 原告は、昭和六〇年八月までは治療に専念したが、同年九月からリハビリを兼ねて家業であるアルミサツシ、建具の販売についての電話番の手伝いを開始した。また、語学学校の講師も行つたが、本件事故のため体調が思わしくなく、頻度は低かつた。

(4) 帝京大学医学部整形外科の山根医師は、原告は平成三年一一月二五日に症状が固定したとの後遺障害診断書を作成したが、同診断書によれば、自覚症状として、〈1〉頸部痛及びそれに引き続いて起こる頭痛、吐き気、〈2〉右股~右大腿部痛、〈3〉顔のほてり、流涙、右上肢のしびれ感、〈4〉頸から肩にかけての鈍痛があり、他覚症状として、〈1〉視診上異常なし、〈2〉触診上、右胸鎖乳突筋圧痛あり、頸部筋緊張なし、右腸骨から右大腿にかけて圧痛あり、〈3〉可動域異常なし、〈4〉運動時痛については、右股に運動時、特に外旋時に疼痛あり、頸部は右回旋時に圧痛あり、〈5〉腱反射異常なし、〈6〉筋力・右握力一一キログラム、左二四キログラム、〈7〉X線、MRI上、肢、頸、腰に異常なしというものである。

なお、平成四年五月二五日付けの後遺障害診断書では、自覚症状として、〈1〉頸部痛、頸部痛(特に天気の悪い日)→頭痛、吐き気いらいら感を出現、〈2〉顔のほてり感、流涙、右手のしびれ感あり、〈3〉右股関節部痛あり、〈4〉時に眼筋の痙攣ありと記載されている。

(5) 自賠責算定会新宿調査事務所は、平成四年九月一八日、原告については後遺障害の等級非該当と判断し、これに対する異議申立てに対しては、症状の変動が認められること、天気により左右されること、神経学的な異常所見はないことから、器質的な永久残存性のある障害とは認められないとして、非該当を維持している。

2  右認定事実によれば、原告は、本件事故によりほぼ全身を打撲し、その治療のため、岸病院や帝京大学医学部整形外科、同附属病院に入通院したが、症状が固定した平成三年一一月二五日にも、鞭打損傷のため頸部等に痛みが持続したのであり、症状固定時までの治療は、本件事故と因果関係のあるものと認めるべきである。

この点、被告は、頸椎捻挫の七、八割が受傷後三カ月までに症状の改善がみられること等を根拠に、原告の症状は事故後半年か一年で治癒し得るものであり、その後の治療は、心因的なものか、本件事故と無関係のものであると主張する。なるほど、原告については受傷後七年を経て症状固定の診断がされ、また、通院も昭和六一年一〇月ころからは、二、三カ月間通院のないことが時折あり、数カ月間通院しないこともあつたのであり、被告の右主張は、首肯し得ないわけではない。しかし、原告が治癒したにもかかわらず通院を継続したものと認めることは到底できず、また、その症状が本件事故以外の原因で生じたのではないかとの疑いを差し挟むべき証拠もない。さらに、介達牽引が相当年月日を経てから開始されているが、その治療方法は医師が判断することであつて、仮に介達牽引法を早期の段階から開始した場合に短期間で症状固定し得たとしても、このことを原告の責めとするのは相当ではない。なお、後記認定のとおり、心因的なものがあり得るが、これは、後記認定のとおり被告及びその任意保険分担当者の言動によるものであることは明らかであつて、長期化した通院全般についても本件事故と相当因果関係が認められる。

3  次に、原告の後遺障害について検討すると、原告の鞭打損傷については、主として自覚症状のみがあり、X線撮影等の所見上異常はなく、可動域の制限もないことから、神経学的又は器質的な変化はなく、原告が主張するような一二級相当の後遺障害の存在は認め難いといわなければならない。

しかし、原告は、本件事故後、一貫して、頸部痛を訴えており、また、鞭打損傷の際にしばしば出現する上肢のしびれ感もあり、右握力一一キログラムと相当低下しているのであつて、頸部等の局部に鞭打損傷による神経症状の後遺障害があるものと認めるのが相当である。この点、自賠責調査事務所における事前認定では後遺障害等級に「非該当」と認定されているので一言加えておくと、症状の変動が認めらとしても、頭部から頸部にかけては一貫して訴えている症状があり、器質的な永久残存性のある障害とは認められないとしても、若しそのような障害があれば、一二級以上の後遺障害となるはずであつて、一四級の後遺障害についてもこれを要求するのは過重であることから、非該当認定は、前示判断の妨げとなるものではない。

なお、原告の症状は、年々緩和されてきており、症状固定日から五年間持続するものとして損害額を算定するのが相当である。

三  原告の損害額について

1  冶療費関係

(1) 治療費 一一二万六八〇〇円

甲四ないし七によれば、原告は、帝京病院の通院治療費として一一二万六八〇〇円を自己負担したことが認められる。

(2) 付添看護費 三万一〇四六円

甲三八の31ないし35、原告本人によれば、原告は、前示入院中の昭和五九年九月一日から四日にかけて職業付添人に付添いを依頼し、三万一〇四六円を支払つたことが認められる。なお、原告は、入院の全日につき付添看護費を請求するが、右職業付添人による付添以外に付添の事実及びその必要性を認めるに足りる証拠はない。

(3) 入院雑費 四万五〇〇〇円

前示岸病院及び帝京大学医学部整形外科における入院の雑費として、一日当たり一〇〇〇円として四五日間の合計四万五〇〇〇円を要したものと認める。

(4) 通院交通費 二万二三八〇円

甲三八の2ないし30、乙一一、原告本人、弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和五九年一〇月一五日から昭和六〇年一月四日までの前示帝京大学医学部整形外科の通院等に当たり、退院後時間を経過しておらず、杖をついての歩行であつたことから、タクシーを使用し、その合計が二万二三八〇円であることが認められる。

(5) リハビリ湯治費 九万九四六〇円

甲三八の36ないし53、原告本人、前認定の事実によれば、原告は、昭和五九年一一月二七日から一二月四日にかけて湯田中温泉に温泉療法に行き五万五三八〇円を(原告一人分のみを認めた。)、昭和六〇年一月四日から八日まで及び一二日から一三日にかけて下部温泉にそれぞれ温泉療法に行き四万四〇八〇円(一泊五六〇〇円、片道交通費四〇二〇円として計算)を要したことが認められる。

2  休業損害 二六四万八〇〇〇円

甲一〇ないし一二、三九ないし四二及び原告本人によれば、原告は、本件事故前には、体育の非常勤講師、語学学校の講師などを行つて毎月七万円程度の収入を得る傍ら、家業の建具業(有限会社第一建具工業)の手伝いをしてきたこと、昭和五九年六月からは、家業の手伝いにより毎月一一万二〇〇〇円及びボーナス年二回合計二〇万円を得るとともに、語学学校にパートタイマーの講師として勤務し毎月一万八〇〇〇円の収入を得ていたこと、本件事故により昭和五九年九月一日から昭和六〇年八月末日まで休業し、同年九月一日からリハビリを兼ねて家業のための電話番等の業務に就いたこと、その他の職業は、病院等の通院の必要性や体調不良のため、就くことが困難であり、語学学校への勤務も再開したことがあるが、微々たるものであることが認められる。

そうすると、本件事故後昭和六〇年八月末日までの一年間は、本件事故のため全休したことにより、次の計算どおり、一七六万円の休業損害を受けたことは明らかである。

計算 13万0000×12+20万0000=176万0000

昭和六〇年九月一日からは、家業の手伝いによる収入は本件事故前と変わらないものの、その他の収入が病院への通院等のため減ぜられており、減額分を本件事故直前の語学学校からの収入分の三分の二程度と見るのが相当であるから、同月から症状固定月である平成三年一一月までの七四月については、次の計算どおり、八八万八〇〇〇円の休業損害を受けたこととなる。

計算 1万8000÷3×2×74=88万8000

3  逸失利益 三八万〇九五二円

前認定のとおり、原告は本件事故のため頸部を中心に一四級一〇号の神経症状という後遺障害を残したところ、このため症状固定後五年間にわたり労働能力が五パーセント喪失したと認めるのが相当である。そして、原告の本件事故前の年収は一七四万円であつたから、ライプニツツ方式により中間利息を控除すると、本件事故による逸失利益は右金額となる。

計算 174万0000×0.05×4.329=38万0952

4  慰謝料 四二〇万円

前示の入院日数四五日、実通院日数一一二日、後遺障害等級、症状を重点的にを考慮して入通院(傷害)慰謝料や後遺症慰謝料を算定することができないわけではない。

ところで、甲一三ないし一五、三〇、三三、三四、乙一一、一五、原告本人、前認定の事実に弁論の全趣旨を総合すれば、被告は、本件事故直後において、熊谷の父親である良三に対して、被告の妻の入院手続のため気がせいており信号に対する認識が全くなく本件事故を起こしたとして、自己の対面信号を全く見ていなかつたことを認めていたにもかかわらず、捜査段階及び刑事裁判の段階では青信号であつたと言い張つたこと、このため、捜査を混乱させ、原告に対する警察の取調べでは原告の言い分を聞き入れてもらえず、また、被告の任意保険の担当者である佐藤も、原告に対し、あんた達は重大な過失を犯しているのだと脅かし、治療費の支払いを一方的に打ち切つてしまつたこと、これらの言動のため、原告は精神的に大いに打撃を受け、本件事故当時医師と婚約関係にあつたものの、破談となつたこと、被告は、刑事裁判において、任意保険により被害の弁償が計られること等を理由として執行猶予の判決を得たにもかかわらず、判決確定後もなお自分の対面信号は青であつたとして賠償金の支払いを頑なに拒否していること、原告への見舞いにも来ず、また、刑事裁判確定後すら一度も詫びをしていないことが認められる。このような被告及びその任意保険会社の対応のため、原告は精神的に参り、このため、治療が長期化したことが推認される。

原告は、これらのことから、名誉棄損等を理由に入通院慰謝料、後遺症慰謝料とは別個の慰謝料を請求するが、原告主張のような別個の慰謝料を認めるのではなく、これらの事情は、入通院慰謝料、後遺症慰謝料の増額事由として斟酌するのが相当である。

そして、これらの事情の他、原告には昭和六〇年一月一五日以降の通院交通費、接骨院への支払い等本件訴訟で請求していない支出が相当あること、休業損害等については本件事故前の家業の手伝いという対価性の少ない収入を基礎として算定したが、本件事故がなければ、賃金センサス分程度の収入を得る可能性があつたこと、その他本件に顕れた諸般の事情を考慮すると、入通院慰謝料としては三〇〇万円、後遺症慰謝料としては一二〇万円が相当である。

なお、被告は、原告の治療の長期化は心因に基づくものであると主張し、前認定のとおり、そのことは推認されるが、原告に精神的打撃を与えたのは本件事故後の被告及び保険会社の態度にあることは明らかであつて、心因に基づく治療の長期化を理由に慰謝料をはじめとする損害額を減じないこととする。

5  以上合計 八五五万三六三八円

なお、損害の填補のあることは、前示のとおりであるが、填補分は原告が本件訴訟で請求していない損害に係るものである。

四  弁護士費用 九〇万〇〇〇〇円

本件の事案の内容、審理経過及び認容額等の諸事情に鑑み、原告の本件訴訟追行に要した弁護士費用は、金九〇万円をもつて相当と認める。

第四結論

以上の次第であから、原告の本訴請求は、被告に対し、金九四五万三六三八及びこれに対する本件事故の日の後の日である昭和五九年九月二日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるが、その余の請求は理由がないから棄却すべきである。

(裁判官 南敏文)

現場見取図

〈省略〉

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